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年 |
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略 史 |
| 昭和50 |
昭和50 1975 |
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- 「約50家族の日本人と200家族位の日系米人が在住」、「企業としては、KY側に山崎鉄工が十何家族、その他はノリタケカンパニーインクが事業所を運営」「当時、中西部では日本人の子弟を対象にした学校は、シカゴ、デトロイトに限られていた」西山宏:沿革史による
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11 |
- 学校設立準備委員会第一回会合(田中欣二、上田和博、石川すみれ、ニタ山口、ジュディ・イバラ)
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| 21 |
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- シカゴ双葉会大迫先生を招き、保護者懇談会、下記の委員会発足
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- 組織委員会(日本人中心 田中欣二、三木正浩、三浦 昭、西山 宏、岡田敏雄)
- 諮問委員会(JACL代表 ゴードン吉川、フレッド森岡、トミオ福村、ジュディ・イバラ、ニタ山口)
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| 10 |
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- 「校舎の選定」に奔走。借用料等で難航、田中の折衝によりマウント・アーバン・プレスビテリアン教会の教育館を校舎として借用することに決定
- 学校運営の基本となる「規約」策定、田中欣二、組織委員会、橋本英二、佐藤和也らにより決定、以後、学校運営の支柱となる
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- シンシナティ日本語学校理事会発足
- 理事 田中欣二、橋本英二、三木正浩、西山 宏、佐藤和也
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| 11 |
- 学校法人、非営利団体の認可申請
- シンシナティ日本語学校として開校 授業開始
- 理事会 理事長 橋本英二
- 教職員
校長代理 田中欣二、石川すみれ、上田斐侶子、Carnes礼子、神林訓子、佐藤和也、Staubach蓉子、高野桃子、田中玲子、橋本Ruth、山本紘子、八木しずえ
- 小学部9名、4学級、幼稚部10名、特別クラス14名、計33名で発足
- 入学金$5、月謝$12
- 9時から12時20分までの4時限で国語と算数を各2時限とする
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- オハイオ州より、学校法人としての認可を受ける
- 「ノリタケ駐在員、三木正浩の尽力で同社から、同年12月から毎月$100の企業援助。山崎鉄工もこれに呼応して同額の援助開始」
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1 |
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12 |
- Central Trust Company より当座の運用資金$1,000借入、1年以内に完済
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- 第1回クリスマス会 レイトン・カーター牧師、教会員、JACLの会員招待、謝意をあらわす。昼食会、発表会、プレゼント交換などあり、以後、恒例の行事として定着
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昭和51 1976 |
1 |
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- シカゴより、大迫先生を招待。教職員の指導と懇談会
- 日系二世吉川メイヨ夫人のご家族から、テープレコーダー等寄贈
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